場所:東大駒場
- 発表者1:榎本(立教・異文化コミュニケーション研究科)
- 発表者2:寺沢拓敬(東大・総合文化研究科)
日本における「英語教育(英語の教授)」は、近代前後から行われており、その点で歴史は古い。一方、「英語教育学」、つまり、「学問」としての英語教育研究の提唱は、1960年代まで待たなければならない。
「学問」としての「英語教育学」は、とりわけ英語教育関係者の内部で、その重要性が強調されてきたが、一方で、その「学」の成立根拠に関しては等閑視されてきたきらいがある。ある意味で、現在の英語教育学の「学問たるゆえん」は自明のものとして理解されているとさえ言えよう。
こうした状況の帰結のひとつが、「英語教育学」という名の下で行われる知識システムの再生産(既存の知識システムによって、知識生産のプロセスが水路づけられ、新たな、しかし、同構造の知識の産出が繰り返される)である。こうした再生産は、“英語教育学は「科学的」かつ「客観的」な「真実(truth)」に則った「中立的」・「自律的」な知識にコミットしている”という前提に依拠することでスムースに行われる。しかしながら、科学哲学/科学史/知識社会学が明らかにしてきたように、学問集団に受け入れられている「知識」が、その学問の「内在的原理」で、完全に説明できることはまずない。現存する知識システムは、学問的探求の結果であるだけでなく、さまざまな政治・経済・社会的要因(e.g.イデオロギー、学会政治、産業・経済構造、研究機関など物理的・制度的条件)によって生み出されている。その過程には、必然的に、「そのほかの知」(e.g.現場の知)を排除していく働きが存在する。
本発表では、「学」の起こり(1970年代)以降、英語教育学において何が「知識」として認められてきたかを通時的に検討する。そのうえで、(1)「現場の知」および、(2) 他領域の教育研究(e.g.教育学、教育社会学、教育哲学)の「知」と比較することで、英語教育学の「知」の特異性・独自性―さらに言えば「奇妙さ」―を描き出す。
本発表では、学校という場における「英会話」の授業を維持するために教師が駆使する、(無意識的な)メタ語用的ストラテジーを明らかにすることを試みる。
はじめに、本研究の理論的枠組みとなっている、社会記号論系言語人類学のコミュニケーション理論を提示する。そのうえで、関東圏のある公立高校における「英会話」の授業録音データをもとに、①英語教師、ゲスト、生徒による自己紹介を通じて、どのような参加の構造(=相互行為の枠組み)が授業導入時に立ちあげられているかを同定する。つぎに、②授業の展開部である「(ネイティヴ・スピーカーへの)インタヴュー・タイム」における相互行為を分析し、参加者によって前提とされている「相互行為のモデル」のプロトタイプを明らかにする。
以上、授業の参加の枠組み、また、授業において前提とされている相互行為のモデルを、データに則して確認した上で、本研究ではさらに、上記「枠組み」や「モデル」にひびが入ると同時に、それらが維持される瞬間を捉え、分析する。具体的には、「授業フレーム」をはみ出る(可能性を含んでいる)ような、4つの出来事を紹介し、それらに対して教師がさまざまなメタ語用的ストラテジーを(恐らく、無意識的に)駆使しながら、フレームの潜在的混乱を手なずけていく様子を描き出す。
このような、教室で実際に起こった相互行為を分析することにより、フレーム・キーパーとしての英語教師の役割を明示するとともに、英語教育にとって「学校」や「教室」がどのようなコンテクストとして作用しているかについて、考察を行う。
・論文評(以下の論文)
Kramsch, C., & Whiteside, A. (2008). Language ecology in multilingual settings: Towards a theory of symbolic competence. Applied Linguistics, 29, 645-671.
http://applij.oxfordjournals.org/cgi/content/abstract/amn022v1
[Abstract]
This paper draws on complexity theory and post-modern sociolinguistics to explore how an ecological approach to language data can illuminate aspects of language use in multilingual environments. We first examine transcripts of exchanges taking place among multilingual individuals in multicultural settings. We briefly review what conversation and discourse analysis can explain about these exchanges. We then build on these analyses, using insights from complexity theory and interactional sociolinguistics. We finally outline the components of a competence in multilingual encounters that has not been sufficiently taken into consideration by applied linguists and that we call ‘symbolic competence’.
はじめに応用言語学の理論的枠組みとして、少しずつとりいれるようになってきたポストモダニズムについて、短くお話をしたあと、先日もお知らせしたとおり、下記のpaperについてdisucussionしたいと思います。今実際データと取り組んでいる研究者のみなさんが、この論文についてどのような感想をもたれるのか、faci litatorとしておききしたいと思っています。よろしくおねがいします。
・題目:
Cultural, economic, and regional gaps in English skills in Japan: Through statistical analysis of the data of JGSS
・要旨:
近年、日本だけでなくアジア各国において、英語の教育機会格差に対する注目が集まっている。本発表では、「英語力の階層差」を、英語の教育機会格差を反映するものとしてとらえ、日本におけるその趨勢を分析する。日本をとりあげる意義は、戦後(特に60~70年代)、「経済発展」「教育の標準化」そして「教育費の地域格差の解消」を成し遂げたという点で、他国(特に、現在それらの課題の達成途上にあるいくつかのアジア諸国)への示唆を多く含む点である。なお、先行研究(寺沢 2009a, 2009b)は、日本特有の教育制度・社会構造に全面的に依拠した分析を行っており、他国への示唆を考える上では有効ではない。したがって、本発表は、先行研究を簡略化したモデルに基づく。
分析方法は、ピエール・ブルデューの「文化的再生産」理論にもとづいた統計解析である。データは、日本国内の社会調査データを用いる。
結果は、概略的に述べれば、次のとおりである。(1)ジェンダー格差→明らかな消失傾向、(2)家庭の経済力に起因する格差→減少傾向、(3)親の教育レベルに起因する格差→維持傾向、(4)田舎・僻地の不利な度合い→明確な減少傾向、(5)大都市の有利な度合い→維持。以上の結果をもとに、政策的示唆を議論する。
(※ 発表は英語で行います)